「愛している」
水の落ちる音のなか、男は笑いながら言った。



「はぁ・・・?」
水の都グランコクマ。
着いて早々にそこの皇帝に呼び出され、開口一番にそんなことを言われて、呆れた声しか出せなかった。
「仮にも愛の告白だぞー?もっと他に言うことはないのか?」
からかうように男は笑った。


ザァァァァ・・・
水の音がする。


「だって陛下は俺のこと愛してなんていないじゃないですか」



沈黙。

水音。

目を細める。

男が笑う。

「く、ははは!意外にお前は賢かったんだなぁ。ルーク」

王が笑う。

道化が笑う。



「貴方は俺のことを愛していない。貴方は誰のことも愛していない。そうでしょう?」
「はは、そうだよ。俺は誰のことも愛しちゃいない。ただ愛してる振りをしているだけだ」
だってそのほうが人間らしいだろう?揶揄するように俺を見る皇帝を睨み返すが、男は気にせず語り続ける。

「いつだったかな、気付いたときは愕然としたさ。俺は人を愛せない。人間は他人を愛するものだ。その事実を既に俺は知っていた。」



嗚呼、水の流れる音がする。



「博愛主義といえば聞こえはいいが、俺は誰も特別に想えない。わかるか?会ったこともない他人が死んでも、目の前にいるお前が死んでも、俺は同じ感情しか抱けない。これは異常なことなんだろう?」

俺は何も答えない。陛下も答えなんて求めてはいないんだろう。
何も言わない俺を咎めることもなく、一人楽しそうに話している。

「ジェイドは、あいつはああ見えて、ちゃんと人を愛せるやつだ。本人も気付いていないけどな。ネフリーのことも俺達のことも大切に思っている。ただ表現が下手だから伝わりにくいだけだ」



ザァァァァ・・・
水の音がする。
『水は愛に似ている』
そう言ったのは誰だったろう。



「可愛いじゃないか。あいつは自分のことを人でなしだと思っているようだが、俺にはあいつのほうがよっぽど人らしく見える。本当の人外は人の皮をかぶっているものなのさ。なあ?ルーク。そう思わないか」
「どうして俺に聞くんです」
そう言い返した俺を陛下は哀れむような目で見てきた。馬鹿にすんな、と睨むとおどける様に肩をすくめられた。

「サフィールが羨ましいよ。俺たちは一生あいつのようにはなれない。あいつはいつだって正直で盲目的で愚かだ。あいつのように生きられたらどんなにか幸せだろうな」



ザァァァァ・・・
そうだ昔、家庭教師に押し付けられた詩の本だ。



「愛して愛して傷ついて、それでも泣きながら愛するなんて本当に愚かだ。ルーク。お前は痛みを覚えているか?・・・・・・俺は忘れてしまったよ。いや、初めから知らなかったのかも知れないな」



『捕らえることを許さず、いつのまにか私を満たし溺れさせる。溺れることは苦しいが、しかしなければ渇いてしまう』



「あいつは昔から変わらない。いつだって誰かを愛して泣いている。俺も昔から変われない。他人<ヒト>を人間<ヒト>としか思えない人でなしだ。ジェイドは変わったな。昔のあいつはもっと人を遠ざけようとしていたよ。露悪的だったな。綺麗ごとをいうのが嫌なんだそーだ。嘘なんていくら吐いても何も変わらないのにな」
「綺麗ごとは嘘ですか?」
「そうだよ。俺にとってはな。・・・・・・あいつらにとってはきっと違うんだろうな」
呟いた声に羨望の色が混じっているように感じた。


ザァァァァ・・・
嗚呼、
水の落ちる音がする。
愛の堕ちる音がする。



「『水は愛に似ている。過ぎれば死にいたりしめ、足らなければ生きられない。』」

水音以外なんの音もしない部屋に俺の声は異様なほど響いた。
「聞いたことがないな。誰の詩だ?」
「さぁ?忘れました」
正直に作者を覚えていないことを告げると、陛下は特に機嫌を損ねる様子もなく
「それでいうと俺は生きていないんだろうな」
と言った。

俺は否定も肯定もしない。だって意味がない。

「お前はどうだ?」
「・・・・・・」
「お前は愛しているのか?」
「・・・それは俺が決めることじゃありません」
「ほう?」
この人は同属が欲しいのかも知れない。同じように人を愛せない人でなしが。
でも俺は・・・・・・。
「俺は俺を愛してくれた人しか愛せませんから」
それが愛かどうかなんて知らない。ただ俺は相手に返すことしか出来ないから、それが愛なら愛しているのだろう。
「それじゃあ、俺はそろそろ失礼します」
それだけ言うと俺は宿に戻ることにした。もう戻っても文句は言われないだろう。相手は十分したはずだ。
「く、かはははは!」
扉に向かおうとすると、後ろから笑い声と共に声をかけられた。
「くくく、それで、お前は、今一緒にいる奴等のことは、愛しているのか?」
答えるために振り向くと、流れ落ちる水を背後にして皇帝が無表情に笑っていた。
俺は目を合わせゆっくりと何も言わずに笑った。そして再び扉に向かい、今度こそ部屋を出た。停止の言葉はなかった。



さて、皇帝はあの笑みを肯定と否定どちらにとったろう。
どちらでもいい。興味はない。


だってあの男はこれからも変わることはないのだから。

水に満ちた都にいながら愛に気付かないあの男は――。


らない者ほど



雄弁愛をる。